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by funkysweets
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皇室の立ち枯れを仕組んだGHQ

この前、図書館へ行ったら、皇室関連の本が結構あったのでびっくりしました。関心を持つ人が増えている証拠でしょうか。最近のニュースでも、自民党内で異論続出とあったので、どんどん後押しをしていきたいですね。
相変わらず、総理は反対者にもこの結論が安定的な皇位継承に必要だと理解を得られる努力をしていきたい。今国会で成立させた方がいいと、押し通す気満々なので、予断を許さない情勢です。



下記は1年ほど前に出版された本『皇室の本義』福田 和也氏の記事です。抜粋します。

 皇室財産の問題は隠れた大テーマで、私は皇位継承問題と関連して、当面の皇室改革の最大の問題ではないかと思っています。
 戦後、さまざまな「皇室改革」が行われました。なかには必然的な改革もありましたが、大半は占領軍による「懲罰としての皇室改革」と「国民への懺悔としての改革」だったから、限度を超えた極端なものになったと思います。

 皇位継承に関しては、まさにいま問題が表面化しつつあります。マッカーサーは皇族の範囲として、「直宮」といわれた昭和天皇の御兄弟であられる秩父宮、高松宮、三笠宮、この三宮家以外は皇族であることを許さないという姿勢をとりました。これで皇籍を剥奪された方は、実に十一宮家、五十一人に上ります。
 さらにGHQは皇室財産にも目をつけて徹底的に攻撃します。現在、皇室財産は非常に限定されていて、ほとんどないといっていいでしょう。「国有財産」というかたちで全部国庫に移管されてしまった。使途、あるいは会計管理についても、完全に議会の統制下に置かれている。こんな窮屈な皇室財政のあり方は諸外国に例がありません。エリザベス女王はイギリスで三番目か五番目の資産家といわれています。なんたる違いでしょう。このような皇室の状態を放置しておいて、「もっとヨーロッパの王室を見習ったら」などと、よくいえるものだと思います。

 私は戦後の皇室改革のなかで、宮家の問題と皇室財産の問題について、なぜ占領軍がこれほど過酷な処置をしたのか、前々から不思議だったのです。とくに財産没収についてはたいへん過酷で、ヨーロッパ王室の実態を知っているはずのアメリカ人なら、やりすぎではないかとの思いがあったはずです。
 勝者による「懲罰」といってしまえばまさにそうなのですが、ことはそう単純ではなかったと思います。マッカーサーはGHQで憲法をつくるときに「マッカーサー・ノート」と呼ばれる三原則を民政局のホイットニーらに示して、「この三原則を守れ」と指示している。一つは「日本の天皇を英国の立憲君主に近いものに改めよ」というものです。もう一つは「軍隊をもたせるな」、そして三つ目が「華族制度の廃止」で、これらを同じように厳格にうたっています。一項と二項はともかく、なぜ宮家の大量追放をして皇族を大幅に縮小させ、しかも華族制度の廃止まであれほど強硬に指示したのか。私は英国をよく知るようになってから思うのですが、そもそも一項と三項は矛盾しています。英国式立憲王政をめざすというなら、英国には世襲貴族という膨大な王室の「藩屛」が存在します。ところが日本では貴族を認めない、宮家は大半廃止する。これは皇室を丸裸にするということです。大事なことは、この「藩屛」がまったく存在しえなくなったことが、現在の皇位継承の危機の大きな原因となっていることです。

 おそらくマッカーサーは占領政策上、さらには戦後の対日政策上、「しばらくは」天皇制を温存させてもいいと考えたのでしょう。占領政策をスムーズにやるためには天皇は必要だと考えられたし、また皇室をなくすと日本人が一気に共産主義ないしは左翼運動に雪崩れることを非常に危険視したことからだと思います。しかしその一方で、将来的に日本に君主制は不要と考えた。日本という国にとっての皇室の核心的な重要性を知りながら、皇室は当面存続してもよいが「永くは続かせたくない」という発想があったと思います。アメリカの民主主義理念はやはり貫徹していたはずです。

 マッカーサーの発想では、日本の君主制を絶つためには三つの方法があって、一つは占領軍が廃止してしまうこと。二番目に、国民が天皇の戦争責任を追及し、下からの社会革命あるいは政治革命によって廃絶させる。しかしこれら二つは当面は何としても避けねばならない。そこで三番目の案として、時間をかけて「立ち枯れ」にすることに決めたのではと思います。裸にして何もせずにじっとさせていれば、いずれ活力が枯渇する、というものです。
 そのためにはまず人間的、生理的活力の源としての皇族の範囲をごくごく狭くし、将来的に皇位継承者をどんどん少なくしていく。さらに皇室財産を局限化する。マッカーサーはこの三番目の手段を選んだ。その最大の柱が「皇族・皇室の縮小と華族制度の廃止」というわけです。だからこそ「華族廃止」を三原則の一つ、というほどに重視したのです。

 戦後の皇室は「占領軍による懲罰」、あるいは「国民への懺悔」というかたちでスタートし、その後、憲法によって「日本国の象徴」として存続することになりました。それに過剰に迎合した愚かな日本人が「象徴であっても君主ではない」などといいだす。しかしそうした時代をやっと乗り越えたのはよいが、今度は「とにかく面倒だから、すべていまのままで放っておくのがよい」という雰囲気が広がっている。何事もそうですが、反感よりも恐いのが無関心なのです。そしてこれこそマッカーサーの仕掛けた”罠”が効いてきたということかもしれません。そのなかで現在の皇室はだんだん動きがとれない状態に陥っておられるのではないか、と危惧します。現状をこれ以上続けていけば、やがて皇室の存続にも問題が及んでくるのでは、と感じます。



確かに、女系天皇容認の危険性を話しても、「どーだっていい」と切り捨ててしまう友人もいます。上記のような占領軍の話をすると、「負けた国は何も言えねぇんだよ」で終わってしまう。今はそういう人の方が多いのかもしれませんが、その考えに未来はみえません。

まさしくゆるやか〜に国が蝕まれていったんでしょうね。今となってはもう左寄りが一般常識みたいな雰囲気です。国を肯定したら右翼。そしてその右翼は悪いイメージとして植え付けられている感じがします。(右翼=戦争 みたいにw)他の国を見渡せば皆右なわけですが、左側から見れば全て右になってしまいますからね。
私は祖国を想うのはどの国も同じ、当然のことで、良いことは良い、悪いことは悪い、それだけのことだと思っています。一般常識だからといって色眼鏡をかけて見ると、真実が見えなくなってしまう恐れがあります。
by funkysweets | 2006-01-27 17:08 | 戯言