和の国とは
2005年 11月 10日
私の考える日本人というのは、元々穏やかで和を尊ぶ人種なので、窮地に立たされない限り動かないと思うのです。
今回の皇室典範改正論『女系、女性天皇容認』これは、今の時代を現すものでもあり、戦後まともな教育を受けずに育った私たちに大切な事を気づかせるキッカケを与えてくれたとも捉えられます。
見るに見かねたご先祖様が仕掛けたのでしょうか。。。
この問題を探っていくと、多かれ少なかれ日本人なら誰しもが持つ貴重な感性、価値観を再確認することができます。
以下、長根英樹氏の和の国、和の心 — 天皇陛下と日本より一部抜粋させていただきます。
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なぜ日本は直系優先でない継承の在り方をとってきたのか、これを考えることで天皇の在り方、そして今後も守るべき皇位継承の大原則が見えてくるものと思います。
日本においても、歴代天皇も、自分の世代、自分の家族をかわいく思い、子供が男でも女でも、女しか居ない場合であってもその子に即位をさせたい、あるいは養子をもらってでも他家に移すのではなく自分達の近いところで相続をさせていきたいという人情、親心を持っていたものと思います。
しかし、歴代天皇は私情を抑えて、直系優先ではなく先代に遡って他家の男系男子に皇位を継承させてきました。現役天皇といえども直子に相続をしない、させられない。この様な形で直系相続を否定してまでも大切にした原理、価値観とはどういうものであったのか。
それは、皇位自体が先代、先々代からの預かりものであって、天皇といえども自分の世代で自由に私出来るものではない。伝統、ルール、一定の条件に基づき、その範囲内で継承すること、役割を遂行することを許されたものであり、何をやっても良いというものではない。こうした考え方であったものと思います。
あえて直系相続ではなく男系男子という制限を設けることで、何世代か毎に直男子、直男孫の不在により先代、先々代に遡って傍系に皇位が移るという仕組みをつくり、その際に君民ともに先祖から受け継ぎ未来へ繋ぐという皇位の意味、役割と、それを積み重ねてきた万世一系の重みを再認識し、天皇への想い、国を大切にする想いを一層強めてきたものと思います。
これに対して、直系相続の王の場合、王位を自分の家族、自分の世代の既得権と捉え、短い歴史感覚の中で私意が優先される傾向が生じてくるものと思います。
日本の様に何らかの制限により直系相続が許されない場合がある継承制度では、皇位、王位も既得権ではなく、先代から預かる立場であるという役割認識と責任感、抑制的な美学が生じてくるものと思います。
こうした相続意識の違いは、君の側だけでなく民の側も同様に感じ、私優先でない君を誇りに思い守っていこうという意識も強くなるものと思います。
一方、直系相続で王位を既得権の様に君民が感じ始めると、王の存在、在り方の根本が問われる状況が生じやすくなり、長期に渡る継承が難しくなり、王政の廃止や王朝の交替を招きやすくなるものと考えます。
日本の皇位継承は、まさしく和の国の在り方、和の心の在り方に則り、世代を預かるという価値観のもとで、天皇といえども私情を優先して直系(直子)に相続をすることが出来ない場合があるという規定を設けることで、先祖から受け継ぎ未来の子孫に繋いでいく役割認識を君民ともに実感、確認できる制度として確立運用され、守り続けられてきたものと考えます。
日本の凛と身を律する抑制的な美学は、皇位継承の在り方とも相まって世代を預かるという意識の中で育まれ、そうした私優先でない天皇の在り方に民は共感と誇りを感じ、まさに君民共治、君民一体となってこうした国の在り方を守ってきたものと思います。それ故に百二十五代という世代の積み重ねの歴史に重みがあり、他国、他の王室からも尊敬を受ける誇るべき存在、資産になっているものと思います。
先祖代々に渡って、君民、人びとの生命の連鎖、想いの連鎖によって育まれてきた普遍の価値、日本、和の国、和の心の在り方を、今の世代として預かり、更に発展洗練させて未来に継承していく役目、それを君民共に今の時代に生きるものが負っているものと思います。
天皇、皇位の継承はまさにその象徴であり、今の世代の都合で左右することは断じて許されないものと考えます。
本来、皇太子の第一の役割は、天皇の考えを正しく理解し、天皇の意に添い、天皇の意を体現すべく皇族をまとめ皇室を正しく運営(天皇を補佐)していくことにあるものと思います。
日本の皇太子という地位は、決して固定的なものでも、権利として与えられる様なものでもなく、天皇の意に沿わない場合は、長男といえども立太子出来ないこともあり、また皇太子となった後でも廃太子となることもある存在と考えます。
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最後の、皇太子の地位については知りませんでした。これほど徹底して私情を廃し公の為に存在してきたからこそ2000年以上も国民から支持され、守り続けられてきた。
今の世で果たしてこれまでの皇位継承が可能でしょうか。可能であるとすれば国民が気付く以外無い。現在は皇室の中に私情が許されつつある程根が深いのです・・・。
私情を許されない立場でありながらも、世俗に塗れた一般人を皇室に迎え入れてしまったところから大きく踏み外したのでしょうか。
今回の皇室典範改正論『女系、女性天皇容認』これは、今の時代を現すものでもあり、戦後まともな教育を受けずに育った私たちに大切な事を気づかせるキッカケを与えてくれたとも捉えられます。
見るに見かねたご先祖様が仕掛けたのでしょうか。。。
この問題を探っていくと、多かれ少なかれ日本人なら誰しもが持つ貴重な感性、価値観を再確認することができます。
以下、長根英樹氏の和の国、和の心 — 天皇陛下と日本より一部抜粋させていただきます。
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なぜ日本は直系優先でない継承の在り方をとってきたのか、これを考えることで天皇の在り方、そして今後も守るべき皇位継承の大原則が見えてくるものと思います。
日本においても、歴代天皇も、自分の世代、自分の家族をかわいく思い、子供が男でも女でも、女しか居ない場合であってもその子に即位をさせたい、あるいは養子をもらってでも他家に移すのではなく自分達の近いところで相続をさせていきたいという人情、親心を持っていたものと思います。
しかし、歴代天皇は私情を抑えて、直系優先ではなく先代に遡って他家の男系男子に皇位を継承させてきました。現役天皇といえども直子に相続をしない、させられない。この様な形で直系相続を否定してまでも大切にした原理、価値観とはどういうものであったのか。
それは、皇位自体が先代、先々代からの預かりものであって、天皇といえども自分の世代で自由に私出来るものではない。伝統、ルール、一定の条件に基づき、その範囲内で継承すること、役割を遂行することを許されたものであり、何をやっても良いというものではない。こうした考え方であったものと思います。
あえて直系相続ではなく男系男子という制限を設けることで、何世代か毎に直男子、直男孫の不在により先代、先々代に遡って傍系に皇位が移るという仕組みをつくり、その際に君民ともに先祖から受け継ぎ未来へ繋ぐという皇位の意味、役割と、それを積み重ねてきた万世一系の重みを再認識し、天皇への想い、国を大切にする想いを一層強めてきたものと思います。
これに対して、直系相続の王の場合、王位を自分の家族、自分の世代の既得権と捉え、短い歴史感覚の中で私意が優先される傾向が生じてくるものと思います。
日本の様に何らかの制限により直系相続が許されない場合がある継承制度では、皇位、王位も既得権ではなく、先代から預かる立場であるという役割認識と責任感、抑制的な美学が生じてくるものと思います。
こうした相続意識の違いは、君の側だけでなく民の側も同様に感じ、私優先でない君を誇りに思い守っていこうという意識も強くなるものと思います。
一方、直系相続で王位を既得権の様に君民が感じ始めると、王の存在、在り方の根本が問われる状況が生じやすくなり、長期に渡る継承が難しくなり、王政の廃止や王朝の交替を招きやすくなるものと考えます。
日本の皇位継承は、まさしく和の国の在り方、和の心の在り方に則り、世代を預かるという価値観のもとで、天皇といえども私情を優先して直系(直子)に相続をすることが出来ない場合があるという規定を設けることで、先祖から受け継ぎ未来の子孫に繋いでいく役割認識を君民ともに実感、確認できる制度として確立運用され、守り続けられてきたものと考えます。
日本の凛と身を律する抑制的な美学は、皇位継承の在り方とも相まって世代を預かるという意識の中で育まれ、そうした私優先でない天皇の在り方に民は共感と誇りを感じ、まさに君民共治、君民一体となってこうした国の在り方を守ってきたものと思います。それ故に百二十五代という世代の積み重ねの歴史に重みがあり、他国、他の王室からも尊敬を受ける誇るべき存在、資産になっているものと思います。
先祖代々に渡って、君民、人びとの生命の連鎖、想いの連鎖によって育まれてきた普遍の価値、日本、和の国、和の心の在り方を、今の世代として預かり、更に発展洗練させて未来に継承していく役目、それを君民共に今の時代に生きるものが負っているものと思います。
天皇、皇位の継承はまさにその象徴であり、今の世代の都合で左右することは断じて許されないものと考えます。
本来、皇太子の第一の役割は、天皇の考えを正しく理解し、天皇の意に添い、天皇の意を体現すべく皇族をまとめ皇室を正しく運営(天皇を補佐)していくことにあるものと思います。
日本の皇太子という地位は、決して固定的なものでも、権利として与えられる様なものでもなく、天皇の意に沿わない場合は、長男といえども立太子出来ないこともあり、また皇太子となった後でも廃太子となることもある存在と考えます。
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最後の、皇太子の地位については知りませんでした。これほど徹底して私情を廃し公の為に存在してきたからこそ2000年以上も国民から支持され、守り続けられてきた。
今の世で果たしてこれまでの皇位継承が可能でしょうか。可能であるとすれば国民が気付く以外無い。現在は皇室の中に私情が許されつつある程根が深いのです・・・。
私情を許されない立場でありながらも、世俗に塗れた一般人を皇室に迎え入れてしまったところから大きく踏み外したのでしょうか。
by funkysweets
| 2005-11-10 03:58
| 戯言